東京都府中市 不動産 売却 「証券会社から銀行へ」
こんにちは&こんばんは!
学歴コンプレックスを克服する為、金融の世界全てを経験する決意をした。
損害保険会社→証券会社→損保・生保→銀行
必要な資格は全て取得したが、経験が必要だった。
折しも時代は金融ビックバンに突入しており、金融機関を守っていた「護送船団方式」の崩壊は私にとって最大のチャンスだった。
投資性商品を販売することになった銀行が証券会社から社員を大量に募集したのだ。
縁あって三菱UFJ銀行に入行した。
証券会社と違って、投資性商品だけでなく定期預金等も扱えるのはお客様の為にも良かった。
当初は社風に合わせるのが大変だった。
変なことに細かく私の性には合わなかったが、慣れて来たら証券会社よりも自分は銀行のほうが合っていると感じるのだから柔軟性が有るというかいい加減なものだった。
苦手な事務処理は営業と同じくらいの比率でこなさなければならなかったが、鍛えられた。
投資信託や債券、生命保険商品と投資性商品を組み合わせた投資型年金保険を販売した。
「貯蓄から投資へ」
なかなか進まないとはいえ、銀行が果たす役割は大きかったと思う。
バブル崩壊直後の混乱の中で証券会社に入社したが、またもや大きな混乱期を経験することになった。
サブプライムローン・リーマンショックが勃発した。
幸い、私は投資信託は殆ど販売せず、投資年金保険を販売していたのが幸いし、お客さまで大きく損をされた方はいらっしゃらなかった。
投資信託を販売する行員自身が、投資性商品を購入せず、バブル崩壊の大暴落を直接経験していないので、今回の大暴落のフォローを全く出来ずにいた。
結局「そのまま」暴落していく相場を見ているしか手立ては無く、どうすることも出来なかった。
証券会社であれば、急落後一旦戻したところで(少し自律反発したところで)損の確定をしたであろうが、銀行員は暴落に慣れていなかった。
投資信託などリスク性商品の販売の為に採用されたとは言え、殆どお勧めしなかったのが幸いした。
もうバブルのような思いは二度としたくなかった。
2度目の結婚、出産をし、銀行を退職した。
再婚相手の故郷に帰るつもりだった。
転勤を願い出、当時の支店長もその方向で動いて下さったが、小さな田舎の支店は人材が足りているようだった。
そこで仕方なく退職したのだ。
銀行は、優秀な人も多く、業務の幅も広くとても勉強になった。
退職したなかったが、中途半端な若さは愚かだった。
結局2度目の離婚をし、もう一度戻らせて欲しいと例の支店長に申し出たが、「前例がない」という人事部の判断だった。
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