東京都府中市 不動産 売却 「村松 彦助 半生涯記」第1話
今日から、シリーズで祖父の遺した半生涯記を書こうと思う。
祖父の名前は、村松 彦助。
母方の祖父である。
祖父は50代で亡くなったので、私は祖父に会ったことは無い。
祖母は35歳で亡くなった。
父方の祖父母も35歳で亡くなったので私は祖父母と言う存在を知らない。
その祖父が残してくれた遺言である。
私の長男は、この祖父の名前をそっくり頂いた。
理由は、女の子しか考えておらず14日以内に届け出なければならないのに思いつかなかったところ、母から「彦助で良いよ!」と言われたから。
かなりいい加減だが、長男は祖父の名前で親しまれ、立派に引き継いでくれていると思う。
当初は親戚一同に猛反発されたが・・・・・
今は時効か・・・・
祖父は1代で会社を設立した人。
今の私もそうだから、血を引いたのかもしれない。
仙台の親戚は皆起業している。
小さい頃、お墓参りをすると困ったのは「1度も有ったことが無い知らない人」と言うこと。
知らない人に対して何を話せば良いのか、どう感謝すれば良いのか、どうお祈りすれば良いのか全く分からなかった。
だから、いつも
綺麗で可愛くなりますように
頭が良くなりますように
健康で長生き出来ますように
とか、ご先祖様の供養と言うより自分勝手な要望ばかり羅列してお願いするのが私のお墓参りだった。
ある時、親戚のおじさんが、彦助爺さんの半生涯記を発見し親戚一同にコピーして配った。
その生涯記は巻物になっており、当時祖父の会社に勤めていた、日本で1番の書家の弟さん(谷 東里氏)が代筆したものである。
祖父が口述したものを谷さんが代筆した、遺言である。
昭和26年3月10日に書かれた。
1933年3月3日の河北新報、震災義援金寄付者新伝馬町区の欄に彦助お爺様の名前が掲載されている。
困っている人には惜しみなく与え、いつも人の為に自分が率先して行動を起こす人だったと聞いた。
生きていたらどんなだっただろうと思う。
一緒に会社経営を愉しんでできただろうか。
可愛がってくれただろうか。
とても厳しい人だったみたいだから怒られてばかりだっただろうか。
いずれにしても会ってみたかった。
しかし、文章上での彦助お爺様は、今ここに生き生きと私に語り始めてくれている。
遺言って素晴らしい!
会ったことも無い、ご先祖様がどう生き、どう感じたのか。
今読むことによって会うことが出来る。
彦助おじいさんも、まさか、会ったことも無い孫が自分の生涯記をブログに書くとは夢にも思っていなかっただろう。
私だけの宝物として死蔵するには勿体ない読み物なので、ここに公表したいと思った次第である。
お爺さんは、照れちゃうかもだけど怒りはしないだろうと信じて・・・・
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