東京都府中市 不動産売買 「祖父の残した遺言」第3話
その時私は10歳であった。
そこで、私は東2番町玉権という染店に奉公すべく連れられて行ったがその家の主人が私を見て矢鱈に褒めるので採用されるものと思って居た所、何時迄待っても返事が無いので聞き合わせたら、あまり幼少だからと言う理由で断られて落胆した。
それから、間もなく一家は仙台南端の土場へ移転した。そこから片平町の学校迄遠道を通って居たが冬となって雪の日等足足駄に着いた雪のために歩けず雪を払い落とすに暇どりながら学校に着く頃は正午近く、先生の叱責を恐れながら登校すると、案外先生は優しく迎え、濡れた体を教室の火鉢でhしてくれた事も度々あった。
この様に雨具防寒具何一つ買えない貧忙の苦しみを避けんが為に又も奉公を志した。
そして11歳の5月7日尋常4年1カ月余りにして退学し殻町寺島草履店に奉公した。
冬は薄暗い内に起こされ冷水にて床拭きをされられ手は垢切れで痛み、水を一杯汲んで両手に携げさせられるので重さに耐えず少なく汲むと大変怒られる有様である。
夜は殆ど11時頃にならなければ寝られないし大勢居る職人からは時々殴られる事もあって其の辛さは一通りでない。
殊に田舎に藁を買出すにやられる時は四十ぱ乃至五十ぱの藁を一里から
一里半の場所から背負ってるので、途中その重みに耐えかね子供心に泣きながら休み休み帰って来たが、帰るといきなり帰りが遅いと言って叱られる始末であった。
そして9ヶ月経過した或る日、それは寒中であったが冷えきった体で寝たので思わず小便を垂れたがそれを理由として帰宅を命じられ帰ったが母は非常に憤慨した。
私も二度と行く気は無かった。
其の後主人の方から数回迎えに来たが遂に行かなかった。
其の後間も無く定禅寺通り庄司洗濯店に奉公し一生懸命働いて居たが、庄司家では二日町に引っ越した。
庄司の主人夫婦は以前にも増して冷酷で着類は殆ど与えられず毎朝早くから飯炊き、おしめ洗い、夜は11時過ぎでなければ寝せられず或いは12時頃起こされて質屋通いを命ぜられたことも度々あった。
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