東京都府中市 不動産 売買 「祖父の残した遺言」第4話
あまり酷使するので庄子の親類の者が却って同情し、冬になっても足袋を履かない私を見兼ね新しい足袋を呉れたり小使銭を恵んだりした事もある。
然るに其の事を報告すると庄子の女主人はそれを全部取上げて終う。
それでこれはとても永く勤まらぬと思い他の小僧と申合せた上庄子から家出をする事を決意し直に実行した。
其の間約二年である。
母は、当時塩釜に居ったが其所へ逃げて行った。
母は継父を迎えて暮して居たが継父は非常に道楽者で私等子供の事は少しも考えて呉れなかった。
その為、種々の摩擦を生じ遂に追い出される状態に迫った。
継父は其の当時製材所の職工であったが、平生の虐待に対して報復すべく、継父が製材の仮設作業に従事中継父の目を盗み虐待の報復として仮設の一部を破壊して其の侭徒歩で仙台の叔母の許へ逃げて来た。
夏の朝九時頃である。
叔母からは種々云い聞かされ預かった家財の一部を背負って塩釜へ徒歩で夜遅く帰ったが此の時の無理が祟って二~三日は足が痛み歩行困難であった。
数日後再び仙台の叔母の許へ来た時丁度叔母の隣家であった今野ペンキ屋の弟が東京より来仙中であったが、私の事を耳にし東京へ行かないかと相談をかけられ私も断然上京を決意した。
此の時私は十四才であった。
東京神田区三河町二丁目十一番地今野洋服色揚クリーニング店に奉公した。
主人は非常に温厚で良い人であったが、主婦は極度のヒステリーで始終余波が来て私に辛く当る。
女子供が三人あったが、長女は母によく似て毎日炊事洗濯は一切自分にさせ、拭き掃除が如何に入念にしても駄目だと叱る風である。
或る時米を磨いで居たが突然学校の階が図画と読方を書いて呉れと駄々を捏ねられ、其上泥まみれの足駄を私の頭に打付けたその折丁度間が悪く、足駄は磨いで居た米の中に落ちた。
米はいくら流しても土は完全にとれないで翌日の朝食時には主人夫婦始め子供等迄口を揃えてそれを私の落度にして攻撃した。
私としてもその御飯は土の為食えなかった。そして暫くの間はその事で叱られた。
又或時の事誤って私が台所の棚の硝子を壊した。
私は恐る恐る御詫びを繰返し御許しを乞うたが女主人は聞入れて呉れないばかりか夜遅く迄私を自分の寝床の枕元へ座らせ壊した硝子の弁償を迫り夜更けまでくどくど小言が尽きない。
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