東京都 府中市 不動産売買 「祖父の残した遺言」第6話
今野氏夫妻は非常に人情深く、私は可愛がられた。
私も益々奮起して人一倍働く覚悟で勤めて居た。
間もなくお盆休みが来た時同職櫻井塗装店小僧は半年位遅れて来たらしいがその時小遣銭五十銭貰った事を聞いた。
私は主人より小遣銭二十五銭を貰ったが映画は十五銭、蕎麦1杯食うと十銭無くなる。
私はそれに不満を持ち、二十五銭の小遣銭を返したところ、主人から鉄拳一ツ貰った。
女主人は私を慰め十銭を割増して呉れた。
私はそれを受取る意思はなかったが再三の慰めを受け遂に受け取ったが、その時主人に対し今後はお正月お盆休みと小遣銭は一切返上すると申上げ七年間休みと金は貰った事がない。
無論衣類も貰った事はない。
主人の仕事は一年二~三ヶ月くらいのもので他は多く他の営業者の所に出稼ぎして居ったが殆ど出張仕事が多く私もそれを希望して行ったが大部分は請負制だったので私は時間外も働いて全収入の五割位は働き増し1ヶ月の給料は主人に送金して居た。
そして余分は自分の見回り品を買い求め尚その余分は貯蓄した。
その間にも度々出張先から仙台に帰り主人の大好きな酒煙草を土産として買い送った。
主人の仕事が多忙な時は直ぐに帰店して朝五時頃より夜は十二時頃に至る迄毎日仕事を続けた。
私が二十歳の時母は病気をして居たが継父は病気中の母を捨てて逃亡したので叔母が止むを得ず主人に私に暇を呉れる様要求したが主人が承知しなかったので仕方なく私より直接交渉する事とし母の目下の生活状態や病気の事、それに私は兵隊となって入営するのも目前に迫って居る事等を続々申し述べ結局母の病気が快復し次第勤めの不足日数を返済する約束で交渉し漸く許可を得たので直ぐに暇をとり母の許へ行った。
其の時主人は敷布団一枚袷一枚及半纏一枚と金一円五十銭を呉れた。
私は其の後専心母の看病と生活とに働いた。
当時私共は東九番丁に六畳間を借りて住んで居たが日毎に悪化する母の病気は人力車で大学病院へ通うのもあまり遠距離なので不便な上経費の関係もあるので間もなく新坂通りへ移転した。
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